スリーフィールズ 役員経歴
山田 昭 共同代表
主な活動
1986年の弁護士登録後約3年間は国内の一般民事事件及び刑事事件を中心に扱ってきましたが、日本企業の国際化に対応するため、1990年米国コーネル大学ロースクールの修士課程に留学しました。卒業後ニューヨーク州弁護士資格を取得し、米国東海岸の名門法律事務所であるウィンスロップ・スティムソン・パットナム・ロバーツ法律事務所のマンハッタン・オフィス及びブラッセル・オフィスで、日本人アソシエイツとして勤務し、1992年三宅・山崎法律事務所にパートナーとして復帰しました。
その頃、日本企業の海外進出が、欧米から東南アジアにシフトしてきたため、タイ、シンガポール、フィリピン等での合弁会社設立や撤退、紛争解決等数多くの案件に携わりました。特に日本企業の進出の盛んなタイにおいては、日本人弁護士がおらず、日本人商工会議所を初めとする多くの日系企業の方々から、タイへの進出を要請され、日本の法律事務所としては初めて、バンコクにオフィスを開設し、初代パートナーとして約3年半駐在し、多くの日系タイ子会社の法務案件に従事しました。
1997年に帰国し、東京オフィスで海外案件を中心に業務を行いましたが、12月に食品商社の東食が会社更生法を申請し破綻しました。負債総額約7000億円、その時点では過去最大の倒産事件となり、更生管財人代理として、主として10社以上の海外子会社の整理等に約2年専念しました。
2000年以降日本企業の東南アジア進出が更に加速し、現地企業の買収や資本参加の策定、合弁パートナーや従業員との紛争解決のアドバイス等、日本における東南アジアビジネス法の第一人者と評価されています。
近時は、上場会社の社外監査役、上場予定企業の社外取締役、買収防衛のための独立委員会委員、企業の不祥事解明のための第三者委員会の委員等の仕事が増えてきており、単なる弁護士業務から更に業務を発展・拡大させるため、スリーフィールズ合同会社の設立を計画し、信頼できるメンバーの参画を得ることができ、設立に至りました。
経歴
1983年 | 京都大学法学部卒業 |
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1986年 | 司法修習終了(38期)三宅・畠澤・山崎法律事務所入所 |
1990年 | コーネル大学 ロースクール修士課程修了 ウィンスロップ・スティムソン・パットナム・ロバーツ法律事務所入所 |
1991年 | ニューヨーク州弁護士登録 |
1992年 | 三宅・山崎法律事務所パートナー |
1994年 | 三宅・山崎法律事務所 バンコク事務所所長 |
2011年 | 三宅・山崎法律事務所 代表パートナー |
2015年 | スリーフィールズ合同会社 共同代表 |
2016年 | 三宅・牛嶋・今村法律事務所 オブ・カウンセル |
2018年 | 三宅総合法律事務所 オブ・カウンセル |
2020年 | King & Wood Mallesons法律事務所・外国法共同事業顧問 |
弁護士会・公職等
- 第二東京弁護士会
- 元株式会社東食更生管財人代理
- 原子力損害賠償紛争審査会
- 第二東京弁護士会 仲裁センター 仲裁人
- 株式会社アミファ社外取締役(監査等委員)
- ブラザー工業株式会社社外監査役
- 一般社団法人日本取締役協会専門会員
- 東京ロータリークラブメンバー
著書・論文等
- 「タイ国民法典」 (バンコク日本人商工会議所)
- 「タイの会社法と日本の会社法」(バンコク日本人商工会議所所報)
- 「タイにおけるM&A法制度の特徴と最近の投資動向」(M&A Review 2011年5月号)
- 「新時代を切り拓く弁護士」(商事法務 共著)
米田 康三 共同代表
主な活動
住友銀行時代の30年間は、主に企業調査、大企業取引、国際業務の分野で働きました。国際部門では、スイスのゴッタルド銀行の買収や、ゴールドマン・サックス宛の出資、米国にストラクチャード・ファイナンスの専門部隊の創設、タイでバンコク支店を開設等、多くの新しいプロジェクトをやらせてもらいました。
国内では、2001年さくら銀行との合併前後併せて8年間にわたり、東京と大阪で日本を代表する企業との取引を担当し、企業経営について外部からの視点ながら、多くを学ぶことができました。
2002年プライベート・エクイティー(PE)投資の勃興期に、米国の先達であったGEエクイティーと三井住友グループによる折半出資でJapan Equity Capital(JCAP)が発足、その会長としてGE側の社長とともに事業の立ち上げに注力しましたが、翌年イメルト社長の突然の方針変更でJCAPが解散されることになったため、その事業を大和証券エスエムビーシーに移管して、引き続きPE業務の育成拡大に当たりました。同時期に、ゴールドマン・サックス・大和証券SMBCPI・三井住友銀行の3社による企業再生投資ファンドを設立し、投資委員会委員として30件以上の案件に携わりました。
2005年には、設備機械メーカーである平田機工の創業家からの要請で社長に就任しました。2006年には創業家の夢である、社会の公器への脱皮を目指してJASDAQに上場。中期経営計画を2回策定し、事業を整理再編し、太陽電池製造設備・有機EL製造設備・タイヤ製造設備等の新規事業を育成し、長期的な成長発展のための基盤造りができたところで、2011年に平田副社長に後を託して退任しました。
2012年にはオリックスの傘下入りした(株)キンレイの社長に就任しました。企業価値を最大化する手法として、事業を冷凍麺事業と外食チェーン事業に分割し、冷凍麺事業は月桂冠に、外食チェーン事業は「かごの屋」のブランドでクリエイト・レストランツ・ホールディングに事業譲渡され、それぞれ新しい親会社の下で順調な発展を遂げております。
近年はこれまでの経験を活かす場として、社外取締役や問題をかかえる企業の第三者委員会の委員長などに携わっておりましたが、長年仕事を共にして深く信頼していた方々から、企業のホームドクターのような会社を作ろうという呼びかけをいただき、今回のスリーフィールズ設立に発起メンバーとして参画しました。
経歴
1967年 | 新潟県立長岡高等学校卒業 |
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1972年 | 東京大学教養学部国際関係論分科卒業 住友銀行入行 |
1978年 | 米国エール大学経済学部大学院修士課程卒業 |
1983年 | 国際企画部勤務 |
1995年 | バンコク支店長 |
1998年 | 東京営業第一部長 |
2001年 | さくら銀行と合併時に執行役員就任 |
2002年 | Japan Equity Capitalの代表取締役会長に就任 |
2005年 | 平田機工株式会社代表取締役社長に就任 翌年JASDAQ上場 |
2012年 | 株式会社キンレイ代表取締役社長に就任 |
2014年 | 株式会社アミファ社外取締役(現任) |
2015年 | スリーフィールズ合同会社設立、共同代表に就任 株式会社タカギ社外取締役 アネスト岩田株式会社社外取締役 一般社団法人日本取締役協会正会員 |
2016年 | フォーライフ株式会社社外取締役(現任) |
2018年 | 北越メタル株式会社社外取締役 | 2021年 | 開志専門職大学事業創造学部講師に就任 |
須田 徹 共同代表
主な活動
10年間通いなれた関学を卒業後に設立後1年に満たない等松・青木監査法人(現“有限責任監査法人トーマツ”。なお、入社当時の正式名称は極めて長くて覚えきれない名称でした)大阪事務所に入り、主に京都に本社を置く上場会社の証券取引法監査、外債のための監査、外資系企業の英文監査等の業務に5年弱従事し、その後、同監査法人ニューヨーク事務所、銀行監査の開始に伴い東京事務所、再度ニューヨーク事務所、再度東京事務所、後述の税務業務と約40年間(内20数年は税務部門)トーマツ内を転々としました。
通算5年半勤務したニューヨーク事務所、最初の勤務当時の在米日系企業の多くが販売機能しか有していない状況の日本企業による海外進出黎明期であり、記帳代行、給与計算、納税手続き、個人・法人の税務申告等の監査以外の業務が主でありました。
2度目のニューヨーク事務所勤務(その時代に奇しくも米田氏も住友銀行ニューヨーク支店におられたとのことが今回判明いたしました)で、事業活動における税務の重要性、日本語で米国の税務を説明することの必要性を痛感し、東京事務所へ帰任後に監査部門から税務部門に転属し、税理士法改正により税理士法人が認められることにより、初代の税理士法人トーマツ(現、“デロイト トーマツ税理士法人”)理事長に就任いたしました。
この間及びトーマツ退職後も多くの良き人達、尊敬できる人達に恵まれて、それらの経験から学ばせていただいた次のごとき心構えで仕事をさせていただいております。
- お客様にとっては初めての経験であること・・・我々は専門家としてほぼ毎日同じような事案を取り扱っていますが、お客様にとっては初めての事案であるから専門家の協力を依頼に来ておられる。従って、我々は決して「またか」という気持ちではなく、お客様と同じ緊張感と万全の注意力をもって接する。
- 我々はお客様から評価されていること・・・我々はたまに「先生」と呼ばれることがあるが、決して先生ではなく、お客様に専門的なサービスを提供するサービス業者であり、お客様からその専門知識のみならず、人格的な面を含めた全体的な評価をうける怖い商売であることを自覚する。
- お客様と同じ目線に立つこと・・・お客様は専門家ではない場合が多いので、できるだけ専門用語(業界内だけで通じる特殊な方言)は使わず、お客様の理解度と理解方法の論理構造を図りながら、個々のお客様の理解しやすい平易な言葉で説明をする。
- お客様と同じ立場に立つこと・・・評論家、理論家であることは容易ですが、可能な限りお客様が置かれた立場を理解し、「(その立場なら)私であればこうする。」といえる良き協力者としての専門家をめざす。
今時点でもそれらの心構えに応えられているのか否かに関して満点を与えることはできませんが、一歩でも前進したいと思って日々努力しております。「あなたと仕事してよかった。」とお客様から言っていただけるプロを目指して。
経歴
1946年9月 | 新潟県柏崎市(奇しくも米田氏の生まれた長岡市と隣接)に生まれる |
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1959年4月 | 関西学院中学部入学 |
1967年9月 | 公認会計士第二次試験合格 |
1969年3月 | 関西学院大学商学部卒業 |
1969年4月 | 等松・青木監査法人「(現)有限責任監査法人トーマツ」大阪事務所入社 |
1972年2月 | 公認会計士第三次試験合格 (1974年1月から1976年3月、1977年12月から1981年7月同監査法人ニューヨーク事務所勤務。2021年4月公認会計士登録抹消) |
1983年8月 | 同監査法人社員就任 |
1990年6月 | 同監査法人退職し、勝島敏明税理士事務所パートナーに就任 |
1996年2月 | 税理士登録 |
2002年5月-2009年1月 | 税理士法人トーマツ「(現)デロイト トーマツ税理士法人」理事長 |
2009年2月 | 須田徹会計事務所開設(現) |
2011年5月-2014年4月 | HOYA株式会社顧問 |
2013年1月 | ニューホライズンキャピタル株式会社顧問(現) |
2015年6月-2017年6月 | シャープ株式会社社外監査役 |
2015年12月 | スリーフィールズ合同会社共同代表(現) |
2016年8月-2018年3月 | 東京都特別顧問 |
2016年9月-2018年3月 | 東京都都政改革本部特別顧問 |
2016年9月-2020年5月 | ダイユ-・リックホ-ルディングス株式会社「(現)アレンザホールディングス株式会社」社外取締役 |
公職等
1992年8月-1992年7月 | 通商産業省産業政策局ダンピング(フェロシリコンマンガン)調査委員 |
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1994年10月-1994年11月 | 通商産業省産業政策局ダンピング(20番手綿糸))調査委員 |
1997年4月-1997年8月 | 中小企業庁「ベンチャー企業資金円滑化研究会」委員 |
2002年1月-2006年5月 | (株)整理回収機構 企業再生委員会委員 |
2002年10月-2003年2月 | 経済産業省経済産業政策局 早期事業再生研究会委員 |
2002年11月-2004年1月 | 経済産業省経済産業政策局 LLC研究会委員 |
2003年4月-2008年6月 | 事業再生実務家協会 専務理事 |
2004年9月-2005年7月 | 経済産業省 有限責任事業組合制度(LLP)に関する研究会委員 |
2006年4月 | 中小企業基盤整備機構 中小企業再生支援ファンド評価委員会委員(現) |
2006年11月-2009年11月 | 公認会計士・監査審査会 公認会計士試験 試験委員 |
2007年8月-2014年7月 | 公認会計士協会経営研究調査会 再生支援専門部会委員 |
2016年8月-2018年3月 | 東京都特別顧問 |
2016年9月-2018年3月 | 東京都都政改革本部特別顧問 |
主要著書
- 「アメリカの税法」第1版~第6版 (中央経済社)
- 「米国のパートナーシップ」(中央経済社)
- 「海外会計実務ハンドブック-監査法人トーマツ編」(同文館)
- 「海外税務ハンドブック-監査法人トーマツ編」(中央経済社)
- 「消費者信用産業の会計と税務-共著」(東洋経済新報社)
- 「リース取引実務全書-執筆」(第一法規出版社)
- 「日本版LLPの法律と税務・会計-共著」(清文社)
- 「中国 新企業所得税制の実務-監修」(清文社)
- 「国際金融都市・東京構想の全貌」(銀行研修社)